体験談/山本英博クリニック

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体験談

体験談910席  (33歳 男性 2009年手術)

拝啓 山本先生・看護師の皆様

 晩冬の候、ますます御健勝のこととお喜び申し上げます。
昨年の○月△◇日に右手のETSの手術をしていただきました◎◎です。
手術の際は山本先生並びに看護師の皆様には大変お世話になり、心より厚く御礼申し上げます。
 また、御礼が遅くなりまして大変失礼いたしました。
お陰さまで右手の汗はすっかり止まり快適な日々を送っております。
手術直後は肩から背中にかけて痛んだり寝汗も増えましたが、今では目立った代償性発汗もなく手の乾燥も治まり自然な潤いが戻ってきました。脇の汗も手のひら同様に発汗がほとんどなくなりました。
山本先生に手術をしていただいたおかげで日常生活の様々な場面においてこの手術の効果に驚いております。
 今では自分が手掌多汗症だったことすらも忘れてしまうかのような感覚です。
 私がETSの存在を知ったのは、10年前にたまたまテレビの放送でそのような手術の存在を知り、それがれっきとした病気であり、手術を受ければ治るという大変衝撃的な感覚を覚えたことを思い出します。
そしてすぐにその取材先だった都内の病院に診察に伺いました。
その当時は、基本的に両側の手術であり入院も必要であったため、金銭的な問題や手術そのものに対して抵抗感があり先生のお話を聞くだけで手術を受けるには至りませんでした。
その後、自分なりにETSに関する情報を集めましたが、被害者の会の存在があったりし、ETSは最終手段にした方が良いという意見も多いことから、その後、約10年が経ち自然にETSのことは頭から離れていきました。
そんな中、久しぶりにETSの事をネットで調べていましたら、山本先生が渋谷で無料の説明会をされていることを知り、たまたま説明会当日に渋谷に用事があったため、せっかくだからお話だけでも聞いてみようと気になりました。
 説明会に参加してみてまず驚いたのが親子で来られてる方々がたくさんいらしたことです。
皆さん子供の将来を考え、前向きにETSのことを真剣に考えていらっしゃるんだということを肌で感じることができました。
そして山本先生のETSに関する大変分かりやすい説明会と個人診察のおかげで今までの不安がかなり拭い去ることができました。
講習会を受けるまでは手術を受けるつもりは一切なかったのですが、講習会後、自分は積極的に人生のQOLを獲得していこうという思いにかられました。
特に自分の背中を押していただいたのは、先生にお話いただきましたある選手のお話で、オリンピックの壮行会のためにメダル獲得に影響が出たとしてもETSの手術を受けたいと願い、メダルも無事獲得されたことのお話です。
オリンピックのメダル獲得と握手などの際における人とのスキンシップの快適さを天秤にかけるという心境はこの病気でなければ到底理解できるものではないと思うのですが、オリンピックのメダルがかかっているにも関わらず積極的に手術を受けに行ったその方に深い感銘を覚えました。
自分も大学院にて体育科学を専攻しており、手術による運動時への影響も少なからず心配だったのですが、その選手のお話でその事につきましてもすっかり安心することができました。
私も毎日運動をしますが激しく運動しても全く平気ですし、月日が経つにつれ手のひら以外(顔や胸)の汗の左右差もどんどんなくなってきており、今では本当に手のひらや脇以外は自然に汗をかきます。
本当にこの手術を受けて満足しております。そして何より、10年前に都内の病院で手術を受けず、山本クリニックで手術をしていただいたことは本当に幸運でした。
 この病気に関しましては本人を含め、身体的疾患であるという認識が低いことと、ETSを熟知されている先生に手術を受ければ副作用も極めて低く、しっかり治るということがあまり一般的に知られていないという現状を個人的に感じます。
いまだに心の持ちようだとおっしゃる先生もいらっしゃいますし、何と言いましても親が汗を多くかくくらいで手術なんて必要ないと理解してくれないことです。
私も高校生の頃、親に手のひらの汗の事を相談しましたが、それは体質だし、ハンカチをいつも持っていれば済むじゃないかと言われ気にも留めてくれませんでした。
 今、私は33歳になり自分の意思で手術を受けたと正月に帰省した時に両親に打ち明けました。そうしましたらそこまで深刻に今まで悩んでいたのかということを理解してくれ、また素晴らしい先生に診てもらってよかったねと言ってくれました。
 これからも私の人生はまだまだ続いていくと思いますが年をとって息を引き取る際、間違いなく人生で一番嬉しかった出来ことの一つに手のひらの汗が止まった事を認識した瞬間だと思い返す事だと思います。
山本先生と看護師の皆様方のこれからのご健闘とますますの御発展を心より願っております。
どうもありがとうございました。
         
敬具

体験談909席 (20歳 女性 2009年8月右側手術 )

山本先生へ  ETSを受けて
 右側の手術をして頂いてから2週間がたち、お陰様でついこの間まで考えられなかったくらい快適に生活できるようになりました。最初の2~3日はたまたま乾いているだけのような気がしましたが、相変わらず左手は滴るほど汗をかくときでも右手はドライで、本当に汗が止まったことを実感しています。思いがけず右側は顔の汗も減りました。先週までは顔の本当に正中線で分けた左右で汗のかき方が全然違かったので、いささか奇妙な感じがしましたがこの一週間でもその差がいくらか小さくなりました。顔に関しては自分が慣れてきたこともあり、鏡を見なければ運動後もそんなに気になりません。左側の顔と首の、両側の腰から大腿にかけての発汗量は明らかに増えたように思います。それでも覚悟していたほどでは無いし、吸汗速乾の下着も探すと見つかるもので、手に汗をかいていたことを思うと私のQOLは比べ物にならない位上がりました。右側のわきの下の発汗量はほとんど変わっていないので幸い代償性発汗は今のところ無いようです。最初の3~4日は麻酔の名残で喉に違和感があり、咳をするとき胸に響いて、入れ替わりで背中に鈍痛がありましたが一週間後には完全に落ち着きました。背中は湿布を貼ったら一晩で治ったので手術と関係なかったかもしれません・・・。
手術の感想は本当にあっという間、の一言に尽きます。山本クリニックに到着してから看護師さんにいくつかの検査をしてもらいましたが、優しく接してくださるし、周りもその日にETSを受ける人で少しにぎやかだったこともあり、学校の健康診断みたいな雰囲気でした。直前は緊張するだろうと思っていましたが、自分でも驚くほど緊張もせず、不安もなく、むしろ両親の方が待合室で手術が終わるまでハラハラしていてくれたみたいです。麻酔をするときだけちょっと痛かったですがそこで記憶はストップです。その後に「あれ、まだ麻酔効いていないよ。このまま手術されちゃったら困るよ。」と思って目を開けたら、なんと手術は終わってもとのベッドの上に寝かせてもらっていました。文字通り呆気にとられました。手術の前後で先生にご挨拶したかったのですが、それもしそびれてしまい失礼致しました。
しばらく休ませてもらってから家に帰りました。帰りがけに今まで使った中で一番高級なシャーペンを両親が快気祝いに買ってくれました。これまではシャーペンをしばらく使っているとグリップの隙間に汗が入り込んでしまうこともありましたが、これからはドライな手できれいに大切に使い続けてちゃんと勉強しようと思います。
 私がいつから多汗症になったかはっきりとは覚えていないのですが、少なくとも中学に入学してしばらくしてからは物を書くときに手の下にティッシュか、人目が気にならなければ下敷きを丸く切ったものを敷くことが必須になっていました。中高時代の思い出には少なからず手の汗がからんでいる気がします。私は体感温度が普通より暑くなると掌がじめじめしたりかーっとすごい勢いで汗が出始めたりするものの、それ以外はむしろ人よりも乾燥肌な位の時もありました。今思うと「手に汗かいちゃって。」と周りにオープンにすればよかったと思うのですが、新しい友達ができたばかりの頃に私のイメージを汗と重ねてほしくなかったのと、自分でも異常な汗をかくとき以外は普通だと思っていたので、極力隠そうとしていました。そのうち先生にも友達にも私の異常な発汗が気付かれるようになりましたが、小テストで教室が静かな時に「なんで濡れているの?」と担任に言われたりして、それだけでも恥ずかしくて泣きたくなりました。直接聞いてくれればまだいいものの、周りでさりげなく発せられる「キモい。」といった言葉が私に向けられたものなのではないかとひやひやしていました。私は登校した後に石鹸でよく手を洗って呼吸を整えてから席に座っていても手の汗で授業に支障が出るくらいだったのに、友達は遅刻してきてそのまま教室に駆け込んできても、手はさわやかなようで、それがいつも不思議でした。ささいなことから人前でもうだめ…と思うことまで手の汗に泣かされたことを数えだしたらきりがありません。
大学に入学してからは、開き直ってさりげなく気付かれるよりも早く周りに多汗症であることを打ち明けるようになれました。そうすると「別に全然気にしないでいいよ。」と言ってくれる人が意外と多くてほっとしました。それでも恥ずかしい、というか自分の意志と関係なく出てくる汗に対して、やり場のない怒りを感じることが多々ありました。特にレポート作成をパソコンで行うときには濡らして壊してしまわないかといつも落ち着かなかったし、他の学生と手を触れざるを得ない実習の時などは苦痛で仕方ありませんでした。
中学生の時から、皮膚科や婦人科、病院にかかったついでにその科の先生に多汗症について相談をしてはいたのですが、結局帰ってくる答えは「問題ない。」というものでした。家族や親しい友人たちは「健康で何より。」とか「汗をかけなくて困っている人だって大勢いるよ。」と言ってくれました。そういうことは私もよく分かっています。汗をかいたって痛くも痒くもないし、この平和な社会で人にも物にも恵まれた生活ができて、私はなんと幸せなことか、と思います。でも多汗症はつらい。汗は決して気持ちのいいものではないから事情を知らない人に不審な目で見られても仕方ない。電子機器であふれているこの現代社会になんか生きていけない。カナダに移住したい。・・・大げさかもしれませんが世をはかなんでいました。大学受験の前にペインクリニック科を受診し、真剣に話をきいてもらえて嬉しかったです。塩化アルミニウムを出してもらいましたが、気分が10%くらい良くなった気がするものの、残念ながらほとんど効果はありませんでした。手術という選択肢があることは知っていましたが、代償性発汗で訴訟があったりしたし、そもそも手術なんてしたことがなくて怖かったのでそのときは度外視してしまいました。
20歳になりそれが節目、というわけではないのですが、日に日にこれ以上多汗症であり続けるのは限界だという思いが募りました。夏休みになって東武東上線に乗った時のことです。たまたま山本クリニックの車内広告を目にしました。神にもすがる気持ちで家に帰ってからそのホームページを見るとその詳しいこと詳しいこと!
明らかに私の努力不足なのですが、かつてネットで「多汗症」と入れてヒットする始めの1~2個をちらっと見て、こういうのは胡散臭いと思い、その少し下にいらっしゃった山本クリニックのホームページに私はたどり着けなかったのです。
ばかばか、なんでもっと早く気付かなかったの。強い後悔の念に駆られましたが、このチャンスは絶対に逃したくない、との思いで翌日の正午を待って多汗症教室の予約をしました。多汗症教室の日には、ビルのエレベーターに乗ったら、乗っていたほとんど全員が山本クリニックに入って行ったので、初めて多汗症に悩んでいる人は意外にいることを知りました。教室の後で個別に診断してもらいましたが、代償性発汗のことを始め、不安なこと、気になっていたこと一つ一つに丁寧に答えてくださり、先生の「~ですわ。」という柔和な口調にも安心感が生まれました。その日の朝まで少なからず抱いていた手術に対する不安がどんどん小さくなっていきました。先生の代償性発汗を考慮して片方ずつ手術するという方法が好き、というか信頼できましたし、私の求めていた治療をして下さると思いました。先生をはじめ、手術してくださるお医者さんは全員指導医、というお話も伺い、もう心は決まりました。先生は家族でもう一度相談されたら、とおっしゃってくれましたし、自分でも手術を受けることを即決するとは思っていなかったのですが、約一週間後にETSを受けることをお願いしました。
 右手が快適になっても、あるいはなったからこそもっと早く山本先生にお会いできていたら、と悔やまれてなりません。でもポジティブに考えれば時期的にも一番よかったのかな、とも思います。まず私はひょっとすると思春期が過ぎたら体質が変わるかもしれない、という淡い期待を持っていましたし、両親もできれば侵襲的なことをせずによくなることを望んでいたと思います。しかし20歳になり、さすがに自然治癒することに諦めがつきました。それにただ感情的に多汗症が嫌、と思っているのではなく、将来的にも仕事に支障が出る、多汗症が治ったら何ができるようになる、といったことを冷静に考えるようになりました。そして代償性発汗についても、どんなに多かったとしても手の汗より私にとってはいい、絶対に後悔しないという強い気持ちが固まり両親ともよく話をしました。
 手術をしてから今までいかに多く多汗症のことで気を揉んでいたのかを実感しています。今この文章を書いている時も、左手はまだ湿っているのでタオルが必要ですが右手でマウスを何も気にせず使えるのが地味に嬉しくて、無駄にクリックしてしまいます。そして何より色んな事を手の汗のせいにしなくなったので、自分で言うのもなんですが僻みっぽくなくなった気がします。でもわがままなもので右手が快適になると、左手が他人事のようなすごく不便に思えてならなくなってしまったのも現状です。左右の差を見比べて一人で右手が快適なことの悦に浸ることはできますが…。半年か、一年首を長くして様子を見ようと思います。そしてもしかしたらその頃またお伺いすると思うのでその時は左手もどうぞよろしくお願いします。
 多汗症は命には関係ないし、それを軽視する人が多いと思います。でも私のQOLは本当に上がり、日々蓄積されるストレスが軽減されていずれは寿命もきっと少し伸びそうな気さえします。深いご理解をして頂き、そして今まで悩み続けてきた手の汗を代償性発汗は抑えつつ本当に止めてくださった山本先生、本当にどうもありがとうございました。

体験談823席(18歳女子、兵庫県在住)句読点は原著に従っています

胸部交感神経遮断術後経過(3カ月)

 お久しぶりです。私が手術をうけてからもう3カ月になりますが今までの経過を報告したいと思います。

 私も生まれつき手掌多汗症だったためいろいろと不便なことが日常生活のなかで数え切れない程たくさんありました。母は私が幼かった頃から、手が汗で常時、しめっていたと言っていましたが、私自身がその事に気づいたのは、9才ぐらいの小学校低学年の頃でした。

それも人から「お前の手、つばでもつけてるのかー汚ったねー」と言われて初めて私の手はみんなと違うみたいだ、という事に気づかされました。

 人とフォークダンスの時に手をつなぐ。小学生ではあたり前の様な授業の中でも私はとっても居心地が悪かったです。鉄棒の授業。みんなは手なんかに少しも気をとめるという事さえなく練習をしたりしていますが、私は、一端、地面の砂を手につけたり、石灰を手につけ滑りどめ防止対策をしなくては、ツルツルと滑って、前まわりでさえ、あぶない気がしました。実際に手が滑って、高い鉄棒では落ちかけてしまった事もしばしばありました。

 小学生のHR。一般には学級活動と言いますが、何かの行事のある度に生徒会が提案するものは決まって、腕相撲でした。やっぱり用意しなければならないものが人の手だけだからでしょうか。とっても嫌でした。自分でも、わけのわからない汗にとまどっている中、大人数の人の前で、「またお前、手につばつけてるのかー?」と大きな声で恥をかく事が分かっているからです。確かに今になってやっと体のしくみや神経構造を知る事によって理解・納得しているのに、まして、小学生には今だ、理解不能かもしれません。

 中学校へ上がり、勉学にも気合いが少しばかり入ります。教科書も分厚くなって新品のものばかり。ノートもキレイで新品です。けれど日が経つにつれて黄ばんで行くのが目に見えて分かりました。授業中にあたれば当然、立って本読みをするか、質問、問題に答えなくてはなりません。すると、急速に紙類はふやけて紙がボロボロと化して行き、試験中であるならば問題用紙がふやけボロボロになった後に、親指程の穴があくのは珍しい事では有りませんでした。先生に手を挙げて問題用紙を交換してもらいます。試験中の静かな時にでも密かにみんなは聞き耳を立てているのが分かります。

 そんな中、試験中にタオルを持つ事の許可が下がりました。タオル一枚で足りないので右手と左手の2枚用意しました。けれど、一日何教科かあるので一日二枚では足りません。手にサポーターをつけたり、包帯をまいた後にタオルを使用する事にしました。それで試験は乗り越えて来ましたが授業中には特別許可を受け、発汗がピークに達し滝のように手首へ流れる時は保健室に駆け込んでアルコール消毒をし、完全に汗がひくのを待ちました。中学3年生の二学期頃は毎日のように授業中、保健室へ行って、汗が引くのを待っている間に、保健室の先生にどうしてそんなに多量発汗異常が起こるのか?と聞かれても答えられませんでした。ただ、"多汗症だから"としか説明できず、どういうしくみなのかも分かりませんでした。発汗の為に手足は冷たく体温は下がり、平熱も(最高に低かった時で、33.9度と34.0度を下まわってしまう事も冬場にはありました。)35.0前後で、手足はかじかみ、服のボタンをつけにくい時もしばしばありとっても不便でした。時には、足の指先が、紫色になって来て、壊死してしまうのではないか?とも思ったぐらいの時もありました。

今までの中で一番発汗異常がひどかったのは中学校3年の後半だったと思います。

その時をピークに高校生活でも不便つづきでした。高校受験の時は、私学受験だったので先生が特別にタオル使用許可を取ってくださり、なんとかタオルを使う事ができましたが、やはり試験の監督者の目はきびしいものでした。高校へ入ると、中学と同じように授業中はタオルが必需品で、毎日一枚持っていきますが、もしものために、カバンには1つ以上のタオルを忍ばせてありました。が、登校途中にいつものタオルが一枚もなくなてはいつもよりテンションが上がってしまい、発汗も止む事なく続きます。たとえ、遅刻してもという覚悟で家へタオル一枚を取りに帰る事も少なくありませんでした。

 高校へ入ってから、初めての試験に私はとまどいました。

一応と思い、タオル許可を申し出たところ「生徒手帳に記入がなく、まして親の印の無い場合、認められません。」っとあっさりNGを初めて出されました。もちろん気が動転してしまった分、発汗量も増し、掌は汗一色、腕にまで流れて、ブラウスにしみ。腕にブラウスがまとわりつき、手の下の解答用紙や問題用紙は、水びたしとでもいう言葉がぴったりでした。

その日、母と父に打ち明け、例のように生徒手帳に記入してもらった事は言うまでもありません。それから一年。二年生に上がり初めての中間考査を迎え一限目。生徒手帳を持っているにもかかわらず、許可がおりることはありませんでした。たとえ許可がおりた時でも、きまって先生は、「ここでタオルを広げなさい。」と言って、カンニングでもするかのごとく言って来ます。手をみれば、そんな次元ではない事くらい分かるはずなのに....。といつも思いました。

そしてまた一年が経ち、3回目の内科検診です。一・二年とも甲状腺機能の異常と甲状腺肥大と言われ、病院でエコーを取ったり、血液検査をくり返しましたが、ちっとも変わりません。それよりも、血液検査では、「人よりも筋肉が切れやすい体質なので、瞬発力を要する運動は避けるように。」との事でした。中学時代、陸上部だったのに覆された気分でしたが、確かにマラソンをすれば毎日、もどしてばかりいました。

 そして三年での内科検診。もうひっかかるのが嫌だったので、検査前のアンケートに本当のことは何も書かなかったら、ひっかかる事もありませんでした。ところが、今年の5月12日の金曜日。私の高校あてに、神大の先生から、アンケートと、手掌多汗症に対する説明みたいな

紙が終礼中に配られ(また、自分の事が書いてあるなんて、嫌だなー)っと思っていると、「こんなに手に汗かいてる人、知らんわー」っと声が上がります。みんな私がタオルを持っている事など、気に止めてはいなかったようです。私の周りの友達は、プリントを見て気にしている様子でしたが。

 その夜、学校でそんな事があった、と妹が母に話しかけ、プリントを母に渡すと、母は、「どうして、だまっていたの?あなたの事なんでしょ?」と言いました。

「明日、学校を休んで神大病院へ行ってみましょう。」と言われ、母は神大病院へ直接、電話をかけてくれました。私は、学校の保健の先生、口分田先生に手の事を説明し、相談に乗ってもらいました。口分田先生は、「あなたは、この作文、読んでみるといいわ。あなたは、そこまではひどくないでしょう?」と言われ、作文みたいなものを受け取り読みました。同じです。全く同じでした。しかも、大学受験に失敗してしまったとまで書かれており、受験生の私は大きなショックを受けました。

 土日は病院はやっていないので5月15日の月曜日に行く事になりました。

そこで、山本英博先生と言う方に出会い、「4・5分で治りますよ。」と言われ、母も私もとてもびっくりしました。

先生は私の手を見るなり、そう言うと、「冷たいねー。」と言いました。

そこで、13才までに発症する事、黄色人種に多い事を聞き、手術の説明などを受けました。

8月23日。私の17才の最後の日に手掌多汗症に対する胸部交感神経遮断術という手術をうけることになりました。手術は静脈麻酔で行われ、手術は終わりました。

手術の説明、執刀医をして下さった山本英博先生、をはじめ、兼平暁夫先生、看護婦の方々、にはとても感謝しています。

 手術の右手は本当に全く汗を一つだってかきません。冬場になった今、時に体に汗をかくことはありますが、夏場に比べると、目立った代償性発汗はありません。手術のメスを入れたわきよりも、KTPレーザーで押し焼いた部分が、せきをしたりするとろっ骨にひびいて痛む事がありました。14日程度は、息をするだけでひびいて痛かったのでもらった湿布をずっと貼っていましたが、貼れば自然に痛みもやわらいで痛くなくなりました。もちろん3カ月経つ今では少しも痛みません。術後初めての試験では初めてタオル申請をしずに受けることができ、少し左手に汗を握った程度でした。

 本当に手術を受けて良かったと思います。

大学も特別推薦で合格したので筆記試験はありませんでしたが、好調に事が進んでいます。

また、左手の手術も考えているぐらいです。

毎朝、顔を洗う時に左右の手の色が、赤と黄にはっきりわかれているのをみるとそう思います。右手と左手では、大きな差の出るときで、体温計で3度も違います。

また、左手の手術を受ける時には、どうぞ、よろしくお願い致します。

小生からのコメント

 右手の手術でありながら左手の汗が減少することがあり、小生は最初の手術で両側を治療する必要性はないと考えております。片側手術で両側の手の汗が落ちつくのであれば何も痛い目をして受けることはないと思っております。初回ETSは片側で行い、代償性発汗の少ない交感神経の部分遮断を行っております。

 毎朝、顔を洗う時に左右の手の色が異なるのは、手術をうけた右の手の血液循環が良好なため赤色に見える一方で、胸部交感神経の緊張の強い未手術の左手は血液循環量が少ないままなので黄色のままです。特に、朝洗顔などで冷水に手を浸けると胸部交感神経の働きが促進され、左右の変化が強くでます。 右手の方が左手よりも3度も上昇しているとのことですが、約6カ月経過すればもう少し温度差は減少すると思います。

   2001年1月27日(土)朝一番にETS手術を行っていただき、本当に有り難うございました。手術の後、右手からの発汗は全くなくなりました。掌の温度が本当に高くなり、他人の手のように思え、今はまだ ちょっと気味悪いくらいです。(左手の発汗は 以前と変わらないので。)

 手術後、すぐに東京に帰りましたが、大雪&吹雪で、非常に寒い気温でした。そのせいか、昨夜は、左手足が冷えて、なかなか眠れませんでした。(左足の裏には、靴下をはいて、貼るカイロをあてて寝ました。)右足の裏からの発汗も相変わらず ありますが、不思議に左足の裏ほどは、冷えません。

 右の手術で、左手足の冷えが一段と身にしみておりますが、体験談で、時間がたてば、緩和されることを拝見しておりますので、この状況にも早く慣れていきたいと思っております。

 私は山本先生から、「発汗レベル3」と診断されましたが、ETS手術を受ける人のレベルは様々だと想像しております。HPの体験談は私にとって非常に貴重な情報源なので、できましたら、今後、体験談を載せる人の発汗のレベルを併記していただけたら、幸いでございます。(自分の今の左右掌の感覚は、上の体験談の兵庫県在住の18歳女子の人と、「近い」と感じています。)  山本先生・兼平先生、本当に有り難うございました。

体験談908席(19歳男子、大阪府在住) 句読点は原著に従っています

手掌多汗症に対する手術をうけて

1. 症状について

 まず、僕の手術前の症状について述べると、ほぼ毎日、手から汗が出ていました。年に二十日くらい汗の出ない日がありましたが、それは不規則にやってくるので、もし汗が出ない日がやってきても「今日はラッキーだな」と思う程度でした。

 どれくらい汗が出るかというと「何cc出ていた」というような詳しい数値は分かりませんが、とにかく絶えず出ていました。

 夜、寝ているときなどは、汗が止まっていることが多かったので、発汗にはある程度「緊張」というものが関係していることは自分でも分かっていましたが、自分では別に一日中緊張しているわけでもなく、どうすることもできない状況で困っていました。

 テレビ等で200人に一人は多汗症であるというような事を聞いたことがあっても実際、それで困っているふうに見える人には僕自身出会ったことがなく、手術を受ける人にはどれほど困っていたのかということが、あまりわからないと思うので僕が不便だと感じたことをこれから書きます。

 最も不便であったことは、何かを手の下に敷かないと字が書けないことです。何か敷かないと紙がぬれるのです。何か敷くと言っても他の紙を敷くとすぐに、べちょべちょにぬれて使いものにならなくなるので、水のしまないものやハンカチを敷く必要がありました。僕が手術を受けた理由の90%がこの理由であるといっても過言ではありません。

 僕が手術を受けたのは大学受験の浪人中でした。現役のときは二つの大学を受験しましたが、一つの大学では、大学に連絡すれば、ハンカチを敷かしてもらえました。もう一つの大学は、周りの人にカンニングをしているように見えるという理由で包帯の様に手に固定したものを使用するように言われました。

 前者の大学は合格し、後者は不合格でした。

 汗だけの理由で大学に落ちたわけではないと思いますが、影響は大きかったと思います。後者の大学に行きたかったので浪人することを決め、そして、今度は「普通」に受験したかったので手術することも決めました。

 話を戻して、他に不便なことはというと、僕にとっては先程の理由に比べると大したものではなかったのですが、人によっては困っているかもしれません。次のようなことを挙げることができます。

 人と握手がしづらい。

 カメラ・ビデオなどをずっと持っているとぬれるので手をこまめに拭かないといけない。

 本を読んでいると、本がぬれる。

次のようなことは、前の三つとは異なりちょっと困りました。

 冬に、手が冷たくなる。

 二・三日汗の出ない日が続くと手の薄皮むけることがある。

 ところでいつ頃から多汗症に気づく様になったかというと、幼稚園のときです。といっても困るというほどではなく、少し手の汗が多いかなと思ったり、手の皮がむけることがあったくらいでした。めちゃめちゃ不都合だと感じるようになったのは、中学に入ったときくらいからでした。

 ちなみに、僕の場合、手の汗が出ているときは、それと連動して、わきや足の裏からも汗がでていました。

2. 手術をうけるまで

 僕は高校一年くらいのとき、近所の皮膚科の病院に行きました。そこでは、発汗剤なるものをもらい塗るようにいわれましたが、僕自身、多汗症に関しては、幼稚園からのキャリアがあるので、それでは絶対に治らないと分かりました。もちろん実行しても治りませんでした。

そこの医者は、多汗症の手術のことは全く知らないようでした。

 「やっぱり治らんのかなあ」と思って過ごしているうちにNHKの本で「きょうの健康」というのがあり、それに多汗症のことが詳しく掲載されているのを見つけました。少しだけ聞いたことのあった多汗症に対する手術というものを詳しく知りました。

 僕の場合、大学受験での不便さというものだけでなく、これからのことを考えると、手術くらい受けてもいいいという気持ちはありました。しかし、そこで問題になってくるのが、術後の合併症です。まず、手の汗がなくなる分、体の他の部分から汗が多くなるという代償性発汗ですが、「手の汗さえ止まれば」と思っていたので、それほどには気にしませんでした。次に、目に異常が生じるホルネル症候群ですが、これは結構、気になりました。しかし、それの生じる確率の低さから、手術を受けても大丈夫だろう、受ける価値はあるだろうと思うようになりました。それで、とにかく多汗症の手術を行っている病院を調べ、神大病院へ行ったのです。

3. 手術について

 手術自体は麻酔が効いているので、当然覚えていませんが、「すうっと眠って、ぱっと目が覚める」と終わっていたという感じです。人によっては違うようですが、その後一日程風邪で寝込んでいるくらいの「しんどさ」が続き、一週間ほど「だるさ」が残りました。すぐに回復する場合もあるようですが。

4. 手術後の状況について

 9月の最初に手術を受けて、今、4月の上旬ですから、ちょうど8カ月たった頃ですが、手術後の感想を一言でいうと、大変満足しています。

 まず、手の汗は完全に止まりました。完全に止まったといっても、乾燥してカラカラになるわけでなく、「適度に湿っているときも、たまにあるが、紙がぬれるほどではない。」といった感じです。また、わきと足の裏の汗の量も著しく減りました。

 代償性発汗があるので水分をひかえるようにと手術前や後に言われると思いますが、意識して水分をひかえるというよりは、手の汗が止まった分、のどが乾かないので自然と水を飲む機会が減るというような感じです。

 背中や太ももの汗は、若干増えたように思いますが、暑いときや飲み物を飲んだあとくらいのもので特に気になるほどではありません。顔などのような他の部分は、手術前とかわっていないように思います。

 ところで、手術跡、傷口ですがほとんど目立たないです。確立が低いとはいえ、一番心配していたホルネル症候群もなく非常に良かったです。2月には、去年すべった大学の入試を「普通」に受けることができ、何とか合格できました。

 今まで良いことばかり書いてきましたが、心配事がないわけではありません。もし将来他の病気か何かで胸を手術するとき、この手術の影響はないのかなどの心配は若干残っています。とはいえ、今のところ僕自身、手術を受けて良かったと思っています。そして、神大病院でお世話になった先生方や看護婦の方々に大変感謝しております。

 この文は、あくまでも僕の体験を書いたものなので、人によって異なる部分はあると思いますが、今、手術を考えている方や手術が決まって待っている方にこの文が少しでも参考になればよいと思って書いてみました。

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